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未来を考える情報発信・コラム

地域の願いを叶えよう

余白のある町 ── 横瀬で、訪れた人がいつのまにか仲間になる理由

地域取材連載「地域の願いを叶えよう」第1回/埼玉県横瀬町

地域創生
朝の武甲山と横瀬町の風景

平地も特産品も大企業もない。それを町長は「余白」と呼んだ。人口減少に向き合う埼玉県横瀬町で、訪れた人がいつのまにか仲間になっていく理由を取材しました。

1. 削られた山の、ふもとで

その土地には、その土地の願いがある。

連載「地域の願いを叶えよう」では、オプテージとTISIが、mineoのコミュニティサイト「マイネ王」で進める「ネガイナホ」※1の、地域の取り組みを紹介する「カンバン」で取り上げた町を訪ねていく。カンバンだけでは伝えきれない活動の背景や、そこに関わる人たちの思いを聞くために。地域の外にいる私たちに何ができるのか。人や企業、そしてITは、その願いにどう関われるのか。

第1回は、埼玉県横瀬町。

朝、テントから顔を出すと、武甲山が目の前にあった。

標高一三〇四メートル。北側の斜面が階段状に削り取られている。石灰岩の採掘のあとだ。百年以上にわたって、この山から切り出された石灰岩はセメントになり、首都圏のビルや道路を支えてきた。地元の人に聞けば、いまも掘り続けているという。姿を変えながら、人の役に立ってきた山である。

埼玉県横瀬町。人口およそ七千三百人。池袋から特急で最短72分、秩父の玄関口にあたる小さな町だ。前の晩は町内のキャンプ場に泊まり、朝、武甲山を見上げてから取材先の「エリア898」へ向かった。


2. 人口が減り続ける町で

三十年で三千人近く減った町に、十二年ぶりの「社会増」が起きた。

この日、話を聞かせてくれたのは三人。

一般社団法人みんなでつくる日本一幸せな町横瀬──通称しあつく横瀬の西川猛さん、横瀬町役場まち経営課 連携推進室の小俣裕哉さん。そして後半から、ろっく横瀬の舘野さんにも加わっていただいた。

お話を聞いた方

お話を聞いた方

西川 猛 様

一般社団法人みんなでつくる日本一幸せな町横瀬(しあつく横瀬)

  • 横瀬町地域おこし協力隊
お話を聞いた方

小俣 裕哉 様

横瀬町役場

  • まち経営課 連携推進室
お話を聞いた方

舘野 繁彦 様

ろっく横瀬

まず、小俣さんが町の現実を数字で語った。

人口は三十年前、一万人を超えていた。いまは七千三百人。何も手を打たなければ、二〇六〇年には二千六百人になるという推計がある。現在の三分の一。単独の自治体として生き残るのが難しくなる規模だ。町はそこに五千四百人という目標を掲げている。

自然減は年に百人ほど。生まれる子が四十〜五十人、亡くなる方が百四十人前後。加えて、町には中学校までしかないから、高校・大学の時期に若者が出ていく。小俣さん自身も、高校は入間、大学は群馬だった。

それでも、と小俣さんは続けた。

「令和七年、十二年ぶりに社会増※2になりました」

転入が転出を上回ったのは十二年ぶりで、新聞にも取り上げられた。では、なぜ人が横瀬に入ってくるようになったのか。話を聞いていくと、数字だけでは見えない町の特徴が見えてきた。


3. 町長が言った、「余白」

平地も特産品も大企業もない。それを町長は「余白」と呼んだ。

西川さんが横瀬に来たのは、2025年4月。しあつく横瀬のメンバー、そして町の地域おこし協力隊として活動を始めた。

もともとは東京で、広告の制作を中心に、上流の企画にも関わる仕事をしていた。行政の仕事がどういう仕組みで動いているのか、中間支援組織はどう行政と組んでいるのか。それを知りたい、というのが最初の動機だった。

「実務的な理由で入ったんです」

横瀬という町自体への思い入れは、正直なところ、最初はほとんどなかったという。

実際に町で活動するうちに、横瀬そのものに関心を持つようになった。

役場の人や町長との距離が近く、仕事も組織対組織だけではなく、個人として向き合う場面が多かった。東京で働いていたころとは違い、自分の名前で呼ばれ、関係がつくられていく感覚があったという。

そのなかで、西川さんの印象に強く残った言葉がある。

「余白のある町」

平地が少ない。特産品もない。大きな工場もインターチェンジもない。ふつうなら弱点として数えるものばかりだ。それを町長は、余白と呼んだ。

「余白があるってことは、関わりしろがあるってことだと思ったんです」と西川さんは言う。

小俣さんの説明も重なる。ないものが多いからこそ、しがらみが少ない。特定の大企業に配慮する必要もない。だから誰とでも組める。町は官民連携プラットフォーム「よこらぼ」を掲げ、手を挙げた人には何でもやらせてみる姿勢を取ってきた。オープン・アンド・フレンドリー、と小俣さんは言った。

横瀬町は「日本一チャレンジする町」を掲げ、官民連携や新しい挑戦を積み重ねてきた。一方、町の最上位計画である第六次横瀬町総合振興計画では、将来ビジョンを「日本一住みよい町、日本一誇れる町」、計画の目標を「Colorful Town(カラフルタウン)」としている。後期基本計画では、町民一人ひとりが「その人らしく幸せに生きている状態」をウェルビーイングと捉え、施策に取り入れている。

こうした方針の根底には、人を中心に置いて町づくりを考える姿勢がある。


4. 行政には、できないことがある

公平性が最優先される行政の外側に、町は民間に近い組織をつくった。

ただし、行政には構造上の限界がある。

「税金でやっている以上、最初に求められるのは公平性なんです」

町内には七つの地区がある。ひとつの地区を助ければ、残る六つも助けなければならない。うまくいくか分からない挑戦に、議会の承認を得て予算をつけるのも難しい。

そこで、令和四年にしあつく横瀬が設立された。企業版ふるさと納税を原資に、町民の挑戦や地域の困りごとに対して、助成とハンズオンの伴走支援を行う。行政とは別の立場で、町民に近いところから活動を支える組織だ。

西川さんは、何かを始めたいと考えている人の相談を受け、企画や実行を伴走している。

小俣さんによれば、町長は職員に「チャレンジしなければ、この町の未来はない」と伝えてきたという。行政には失敗を避けようとする力が働きやすいが、先の見えない時代だからこそ、まず試してみることも必要になる。たとえ成果につながらなくても、そこで生まれた人のつながりや経験は残る。

この十年で、職員のマインドも変わった。新しい話が来たとき、できない理由を探すのではなく、場所は、資金は、方法はと考えるようになった。

「僕はいまの町長になってから役場に入ったので、これが普通なんです」

そう言って、小俣さんは笑った。


5. 「三年後に成果を出せ」と言わない

挑戦を強要しない。だから、関わり続ける人が残る。

一方で、横瀬では「チャレンジすること」そのものが強く求められているわけではない。

「チャレンジハラスメントみたいな空気が、ないんですよね」

と西川さんは言う。挑戦していない人に圧力をかけるような雰囲気はなく、それぞれの関わり方が尊重されているという。

その考え方は、地域おこし協力隊への接し方にも表れている。任期の三年間をどう位置づけるかは自治体によってさまざまだが、横瀬では、期間内の成果や任期後の自立を強く求める雰囲気がないという。

「縁もゆかりもない土地に来て、三年で何かを成せなんて、そんなものを求めてはいけない」

三年かけて横瀬を知ってもらう。三年後、どんな形でもいいから関わり続けてくれたら、それでいい。住み続けてくれるなら、なお嬉しい。

西川さんはこの感覚を、「めちゃくちゃ長いリードをつけてもらっている」と表現した。

「残ってほしいという空気を感じ続けたら、人ってプレッシャーを感じると思うんですよ」

結果として、横瀬では協力隊経験者がその後も町に関わり続けるケースが少なくないという。

小俣さんの話からも、町が見ているのは人口の数字だけではないことが伝わってきた。

人口減少対策は行政として当然取り組む。議会でも問われる。そのうえで根底にあるのは、いまそこに住んでいる一人ひとりが、その人らしく幸せに暮らせているかどうかだ。移住者を増やすことそのものよりも、すでにある地域のつながりを大切にしながら、関わる人を少しずつ増やしていく。町の姿勢は一貫している。

では、町外の人は、どのように横瀬との関わりを深めていくのか。

町の側がすべてを用意すると、訪れた人は「お客さん」のままになりやすい。少し手が足りないところがあると、自然に手伝う人が出てくる。

「最初はお客さんとして来てもらって、気づいたらこっちの仲間になってる。そういう空気のつくり方が、この町はうまいんです」

と西川さんは言う。

その「関わりしろ」を、子どもたちの居場所という形で広げている人がいる。


6. 戻ってきたくなる町であるために

一度は出ていってもいい。戻ってきたくなる町であれば。

この日、後半から加わってくれたのが、ろっく横瀬の舘野繁彦さんだ。もともとは地球惑星科学の研究者で、東京工業大学の博士課程を修了後、大学や研究機関で研究に携わっていた。その後、妻の春香さんとともに保育士資格を取得し、保育の道へ転身。2019年に横瀬へ移住した。自然環境を生かした保育を実践したいと考え、町長に構想を話したことが移住のきっかけの一つになったという。同世代がエリア898をDIYで改修し、まちづくりに関わっている姿にも惹かれた。研究から保育、そして地域の居場所づくりへと、活動の場を広げてきた。

舘野さんは、子どもたちが将来町を離れることについて、こう考えている。

一度この町を出ていくのは仕方がない。けれど、戻ってきたくなる町であればいい。では何があれば戻ってきたくなるか。この町が好きだという気持ちと、「あの人に育てられた」という感覚ではないか──だから、子どもも大人も集まれるコミュニティが要るのだ、と。

課題も率直だった。少しずつ浸透してきた手応えはあるが、来る顔ぶれが固定になりつつある。もっといろんな子ども、いろんな町民に来てほしい。外から企画を持ち込んでくれる人がいれば、どんどん受け入れたい。

コミュニティ拠点「エリア898」の様子


7. 三つの、関わりしろ

横瀬町の三つの取り組みが、いま地図の上に置かれている。

いま、横瀬町の三つの取り組みが、「マイネ王」の地図の上に置かれている。ネガイナホの、地域の活動を紹介する「カンバン」という仕組みだ。

このカンバンは、TISIとオプテージが「地域の願い」を応援したいというコンセプトに共鳴して生まれた。地域で活動する人たちの願いや取り組みを見える形にし、まだその地域を知らない人に届ける。ネガイナホでは、地図の上に置かれた願いを見つけた誰かが、それに応えていく。

マイネ王でも今年のネガイナホが紹介され、横瀬町の「武甲山の石積み」などが掲載されている。

▶ マイネ王「今年も『ネガイナホ』始まります!」 ▶ カンバン一覧

■ 横瀬町の三つのカンバン

ろっく横瀬は、エリア898を中心とした交流エリア。外遊びやボードゲーム、地域の人が得意を生かしたワークショップを通じて、子どもが安心して過ごし、さまざまな体験に出会える場所を目指す。町外の人も、手伝いや企画づくりから関われる。 ▶ カンバンを見る

**森側(MORIGAWA)**は、放置されていた森を、地域内外の人・企業・専門家が協力して再生する取り組みだ。ササ刈りや植樹、観察などを通じて、人にも生き物にもよい森を一緒に育てていく。 ▶ カンバンを見る

武甲山を未来につなぐ石積みは、このコラム冒頭に登場した武甲山に登り、感謝石を積む活動だ。 ▶ カンバンを見る

このうち森側(MORIGAWA)には、TISIも関わっている。

TISIは横瀬町とともに、森側のネーミングやロゴ、空間設計から、森林の調査・計測、3Dデータ化、住民参加型のワークショップまで関わってきた。森をただ「整備する対象」にするのではなく、地域の人や企業が入り、観察し、手を動かしながら、一緒に育てていく場所にする。

地域内外の人が実際に森に入り、活動に参加できる点は、西川さんが語った「関わりしろ」にも通じる。

西川さんがネガイナホに魅力を感じたのは、情報を受け取るだけで終わらず、実際に足を運び、体験し、その後も地域との接点が続いていく点だという。訪れて終わりではなく、自分なりの横瀬との接点を見つけ、何かを始める人が出てくればうれしい、と話した。


8. デジタルで支える、地域との接点

願いを地図の上に置けること。誰かがそれを見つけられること。

「カンバン」の掲載が始まってから、まだ日が浅い。現時点で成果を評価する段階ではなく、取り組みは始まったばかりだ。

森側では、人が実際の森に入り、木を見て、手を動かす。その活動を、データやデジタル技術が裏側から支えている。

ネガイナホが試しているのは、オンラインコミュニティ上の接点を、実際に足を運ぶという行動へつなげることだ。

願いを地図の上に置けること。誰かがそれを見つけられること。森のいまの姿をデータとして残せること。TISIが担っているのは、そうした裏側の部分だ。

最後に

今回の取材で印象に残ったのは、地域課題に対して完成された答えを用意するのではなく、人が関わりながら少しずつ形をつくっていく横瀬の姿勢だった。地域外の人や企業が関わるときにも、その「余白」をどうつくるかは重要な視点になりそうだ。

取材を終えて外に出ると、雨が降り出していた。武甲山は雲に隠れて見えなかったが、あの削られた斜面の下で、今日も誰かが手を動かしているのだと思った。


MARKETING CANVAS LAB 編集部

TISI株式会社

  • 地域取材連載「地域の願いを叶えよう」

  • 取材日:2026年9月14日/取材先:横瀬町 エリア898

関連情報

注釈

※1 ネガイナホ … オプテージとTISIが、mineoのコミュニティサイト「マイネ王」で進める実証。地域や個人の願いを地図上に置き、それを見つけた誰かが応える仕組み。2026年は新機能「カンバン」で、地域の課題や取り組みを紹介している。

※2 社会増 … 転入者が転出者を上回り、人口が増えること。出生・死亡による増減(自然増減)と区別して用いられる。